なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第4章【9】(4)西町花の公園の由来 語り部:石田 博治さん(大正3年生)

語り部:石田 博治さん(大正3年生) 昭和の終わり頃、私の家の前2軒が引っ越して、空き家になることがわかりました。当時西町の町会長をしていた私のところへご近所の皆さんから、この土地を公園にしたいとの強い希望が寄せられました。早速、地域センター…

第4章【9】(3)神谷酒場の電気プランと煮込み 語り部:神谷 光太郎(昭和22年生)

語り部:神谷 光太郎(昭和22年生) 戦前から酒屋だった親父がここにカウンター式の立ち飲みバーを開店したのは、戦後5~6年たってからです。 東京で最初のバーとして知られる浅草の「神谷バー」との関係は、神谷酒場の経営者と名前も郷里も同じことと、電気…

第4章【9】(2)配給切符制 語り部:下條 代志夫(大正14年生)

語り部:下條 代志夫(大正14年生) 宮里町会はいま本町4・5丁目になりますが、終戦(昭和20年)前は宮里町何番地といい氷川神社が1番地で反時計回りに2番、3番・・・48番地と町会を一巡します。私の所は11番地でした。 戦前には町会の書記をしていましたが…

第4章【9】(1)手にくっついた茶碗 語り部:清水 吉右工門(大正5年生)

語り部:清水 吉右工門(大正5年生) マグニチュード7.2の大地震が相模湾を震源として関東南部を襲ったとき私は小学一年生でした。大正12年の9月1日、家族と昼食をとっている時に、ドスーンと大きな揺れがあり「大地震だ!裏山に逃げろ」の声に家を飛び出し…

第4章【9】(扉)時代

第4章【9】(扉)時代 手にくっついた茶碗 配給切符制 神谷酒場の電気プランと煮込み 西町花の公園の由来 nakano-nabeyoko.gr.jp

第4章【8】(2)焼け跡に建った校舎 語り部:戸田茂(昭和11年生)

語り部:戸田茂(昭和11年生) 旧高等小学校の焼け跡に開校した二中に、昭和23年2期生として入学しました。その頃の校庭は末整備で、旧校舎の瓦礫が至るところに残っていましたが、野球部やバレー部等の部活動は行われていましたね。野球部だったので部活動…

第4章【8】(1)バイタリティにあふれたPTA 語り部:古澤浪子(大正14年生)

語り部:古澤浪子(大正14年生) 昭和36年、息子が中野本郷小に入学すると共にPTAの委員を引き受けて以来2人の子どもが卒業するまで、長い間関わりました。1年生の運動会の時、校庭の2箇所にテントを張って、上級生と下級生の親に分かれ売店を出しました…

第4章【8】(扉)周年事業を迎えて

第4章【8】(扉)周年事業を迎えて バイタリティにあふれたPTA 焼け跡に建った校舎

第4章【7】(4)仕事は盗んで覚えろ! 語り部:北原 久(昭和8年生)

語り部:北原 久(昭和8年生) 14歳の時、大工の丁稚奉公に行きました。つらい修行で、朝は4時起きで薪を使い飯炊き、片付け掃除と続きます。特につらいのは冬の雑巾がけです。水の冷たさといったら窓の桟を拭くと後が氷になる位でしたから。その後、大八車…

第4章【7】(3)十貫坂上のむかし 語り部:中村銀司(大正13年生)

語り部:中村銀司(大正13年生) 私の父が、十貫坂上の現在地に酒屋を構えたのは大正7年頃でした。当時は原っぱが多く、家の前は三金広場と呼ばれ8歳上の兄たちの遊び場たったようです。前の道路も2間半の砂利道で、坂下の安田邸に皇族方が馬車でみえる時は…

第4章【7】(2)梟(ふくろう)や鶴のいるまち 語り部:池田幸惠(大正8年生)

語り部:池田幸惠(大正8年生) 昭和4年、10歳の時に父を亡くし、母と弟の3人で牛込から越してきました。周りは木々や竹が生い茂り、夜はとても寂しいものでしたが、その林の中に梟を見つけ、弟とはしゃいだこともありました。今の二中の辺りには私たちが「…

第4章【7】(1)地図から甦る思い出 語り部:秋元 雅之助(大正12年生) 

語り部:秋元 雅之助(大正12年生) 私は大正12年、関東大震災の年に生まれました。当家裏の岸上には、ドイツ語の先生だった權田邸(現鍋横保育園)、株屋・占い師たった茂木邸(現鍋横地域センター)、尺八演奏家の福田蘭童が一時期寄宿していた中村邸があり…

第4章【7】(扉)地域センターの辺り

第4章【7】(扉)地域センターの辺り 地図から甦る思い出 梟や鶴のいるまち 十貫坂上のむかし 仕事は盗んで覚えろ! nakano-nabeyoko.gr.jp

第4章【6】(4)情緒ある中野新橋 語り部:大野コマ(大正1年生)

語り部:大野コマ(大正1年生) 今も住んでいるこの中野新橋で、昭和28年から平成5年まで小料理屋を営んでいました。お店を始めた当時、この付近は三業地でした。三業地というのはね、芸者置屋・待合・料理屋の3つの業種が寄り集まっている地域のことをいう…

第4章【6】(3)子どもの頃の思い出 語り部:秋山 清(大正10年生)

語り部:秋山 清(大正10年生) 家族みんな鳥が好きで、孔雀をはじめ、きんけい鳥・おしどり・はっかん水鳥・ふくろう等と何種類も育てていました。 餌を賄うのが大変で、神田川近辺の田んぼで取ったイナゴは孔雀に、生垣のクモは小鳥にと餌とりに追われたも…

第4章【6】(2)遊びの宝庫 本郷田んぼ 語り部:味岡常春(大正13年生)

語り部:味岡常春(大正13年生) 私の生まれた大正13年当時、この地は東京府豊多摩郡中野大字本郷といい、昭和5年には東京市中野区宮里町に変わりました。まだ木の香も残る中野本郷小学校に入学した頃でした。 当時、学校にプールがなく、神田川と善福寺川の…

第4章【6】(1)神田川の友禅流し 語り部:渡邉保彦(昭和9年生)

語り部:渡邉保彦(昭和9年生) 家業は染物屋で青山に居りました。付近の川が汚染されて使用できなくなったので、祖父と父が清流を求めて適地を探し、私が5歳の昭和14年に現在の二中前の神田川畔に転居してきました。当時は、まだ家の周りは原っぱでした。川…

第4章【6】(扉)川と田んぼ

第4章【6】(扉)川と田んぼ 神田川の友禅流し 遊びの宝庫 本郷田んぼ 子どもの頃の思い出 情緒ある中野新橋

第4章【5】(4)入園に長蛇の列 語り部:安藤容子(昭和10年生)

語り部:安藤容子(昭和10年生) 昭和37年頃から嫁ぎ先の幼稚園で、幼児教育に携わっています。当時は園児が300人以上もいました。驚いたのは、入園願書の受付日のことでした。朝、薄暗いうちから外がなにやら騒々しいので窓を開けてみたら、園の前から青梅…

第4章【5】(3)西町天神社 語り部:戸上 信(大正11年生) 

語り部:戸上 信(大正11年生) 私が西町天神社の裏隣に住み始めたのは昭和25年です。戦後間もない頃で、まだ空地が目立っており、杉並との地境には溝もありました。当時の天神社は大銀杏やカヤの木が生い茂り、昼も薄暗い感じでした。昭和30年代の地下鉄工…

第4章【5】(2)西町天神の国旗掲揚台

鳥居の前、右側にある国旗の掲揚台には裏側に子爵土屋正直筆と刻まれています。これは第二皇子(現常陸宮殿下)の誕生記念に建立されたとあります。 土屋子爵は元土浦藩主で大正天皇のご学友でもあり、屋敷は大正末期から昭和10年代半ばまで現中央西公園(中…

第4章【5】(1)水車坂 語り部:小野和衛(大正8年生)

語り部:小野和衛(大正8年生) 自宅近くに古くから「水車坂」と呼ばれている坂があります。大正13年に下町から越してきたときは、この付近はまだ関東大震災の住宅需要に応じた宅地造成が盛んでした。家の前の原っぱにはトロッコレールが敷設されていて、土…

第5章【5】(扉)水車のある風景

第5章【5】水車のある風景 水車坂 西町天神の国旗掲揚台 西町天神社 入園に長蛇の列

第4章【4】(2)私と杉山公園 語り部:柴 きよ(大正3年生)

語り部:柴 きよ(大正3年生) 昭和10年に茨城県久下田から上京し、杉山公園と路地を隔てた青梅街道沿いに酒屋を開業しました。店の前には西武電車が走り、まだ牛車や馬車が往き来している時代でした。 東京市の児童公園として開園1年目を迎えた杉山公園は、…

第4章【4】(1)遊び博士 語り部:阿部一雄(昭和8年生)

語り部:阿部一雄(昭和8年生) 「杉山公園」が誕生した昭和8年にこの近くで生まれ、現在まで共に時代を過ごしてきました。当時の公園にもブランコ・すべり台・砂場がありました。隅っこに植わっていたイチョウの木をハンモックにしていたこともありましたよ…

第4章【4】(扉)地域の人の憩いの場

第4章【4】(扉)地域の人の憩いの場 遊び博士 私と杉山公園

第4章【3】(2)祠を廻って度胸だめし 語り部:成瀬 光(大正9年生)

語り部:成瀬 光(大正9年生) 青梅街道を走る西武電車の軌道は、鍋横の辺りでは道の中心より南側に寄って敷かれていたため道幅が狭く店の前は雨が降ると車の泥跳ねにより、商品が泥だらけになってしまうので、戸板を並べて防ぐありさまでした。昭和5年の拡…

第4章【3】(1)五柱(ごしゃ)さんと親しまれ 語り部:稲子知義(昭和11年生)

語り部:稲子知義(昭和11年生) 銀杏に囲まれた五柱五成ごしゃいなり神社は、先祖が文政6年(1823年)に京都伏見稲荷大社から勧請を受け、屋敷稲荷として祀ったのが始まりです。祠(ほこら)とその前の道は、元々敷地内にありましたが、青梅街道へ出る抜け…

第4章【3】(扉)銀杏が見ていた風景

第4章【3】(扉)銀杏が見ていた風景 五柱(ごしゃ)さんと親しまれ 祠を廻って度胸だめし

第4章【2】(5)鍋屋横丁におけるある銀行の変遷 語り部:高橋 厚(大正10年生)

昭和18年10月 安田銀行中野支店として現中央4丁目2-36 モナミパチンコ店の辺りに出店するが、強制疎開となる。 昭和20年5月22日 現在の地に移るが、5月25日空襲により焼失し一時、淀橋支店に移る。 昭和20年8月 本町通4丁目15(本町4丁目21-13)巴屋呉服店を…