なべよこ観察隊|鍋横物語 見たい 聞きたい 記録したい|東京都中野区

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第3章【3】(4)地域のリーダー 語り部:神津賢一(大正13年生)

語り部:神津賢一(大正13年生) 昭和19年、本町6丁目に移り住んできました。その前にも本町6丁目に親戚の家があったので、この辺には子どもの頃よく来ていました。 十貫坂の酒屋さん(足立屋)の前あたりにポテト(じゃがいもを揚げたもの)を売っている店…

第3章【3】(3)それぞれの思い出 語り部:会田幸子(昭和9年生)、会田喜久(昭和2年生)

会田幸子(昭和9年生) (幸子) 鍋横の思い出といえば、学校帰りに阿波屋さんのガラス窓を守る鉄の棒で、でんぐり返し(前まわり)をするのが、楽しい日課たったことですね。 会田喜久(昭和2年生) (喜久) 私は、店の人に見つからないよう店内を通り抜け…

第3章【3】(2)子どもの楽しみ 語り部:藤井文江(昭和2年生)

語り部:藤井文江(昭和2年生) 昭和10年頃でしょうか、本郷小学校の北側に「なべよこ広場」という絶好の遊び揚がありました。お正月には、子どもが羽根つきや凧揚げをして遊んだものです。 普段は相撲をとったり、弓の大会があったり一年を通して使える大変…

第3章【3】(1)子どもたちの世界 語り部:語り部:安藤幸好(大正6年生)

語り部:語り部:安藤幸好(大正6年生) 十貫坂上から神田川にかけて本町5丁目辺りは一面畑だったんだがね、大正13年頃から、関東大震災後に下町方面から避難してきた人たちが、農地に家を建て始めたんです。結果ね、農家が畑作をやめ休耕田となった所が子…

第3章【3】(扉)空き地は社交の場 ―遊びは創意・工夫で―

(1) 子どもたちの世界(2) 子どもの楽しみ(3) それぞれの想い出(4) 地域のリーダー

第3章【2】(11)花に囲まれて幸せ 語り部:庄司みき(大正4年生)

語り部:庄司みき(大正4年生) 昭和16年に房総(千葉県)から鍋横の花屋「みどり屋」(中央4-1)へ嫁いで、それ以来花に囲まれての生活です。 昔も今も店に並ぶ花を市場で仕入れて販売するのは同じですが、温室栽培がないため、四季折々の花が1年を通して彩…

第3章【2】(10)ラジオは注文を受けてから 語り部:小澤岩男(昭和5年生)

語り部:小澤岩男(昭和5年生) 兄が、昭和28年に本郷通り(スーパーつかさの前)に清和電機を開店し、私も働くようになりました。当時は電気屋で扱うものといったら電球と電熱器くらいでした。電気蓄音機などは、神田で部品を買ってきて、組み立てて売って…

第3章【2】(9)自動車修理も数少なく 語り部:高橋喜久雄(大正7年生)  

語り部:高橋喜久雄(大正7年生) 小学校6年の頃、新宿から引っ越して来て以来70年余り鍋横に住んでいます。近くに開校(昭和3年)したばかりの本郷小学校があり、近辺は窪地だったので葦が生えていました。家は少し高台にあり、辺りは一面原っぱで数軒の家…

第3章【2】(8)質屋の利用も気楽に 語り部:石川 久子(大正4年生)

語り部:石川 久子(大正4年生) 生後まもなくから、ずっと鍋横に住んでいます。父が質屋を営んでおり、子どもの頃、暮れになると正月用の着物を出しに来る人が多かったですよ。 包んであった和紙をたたむのを妹と競争で手伝いました。大晦日は特に忙しく、…

第3章【2】(7)芝居小屋 語り部:長谷川まつ江(大正6年生)

語り部:長谷川まつ江(大正6年生) 昭和25年に現住所に越してきました。周囲は原っぱで、家の前(本町4-19)に芝居小屋がありました。古いけれど立派な建物で、舞台も大きく2階にも客席がありました。 主人の妹が日舞の師匠をしていたので芝居がない時は、…

第3章【2】(6)鍋横市場とせんべい屋さん 語り部:百瀬徳蔵(大正14年生)

語り部:百瀬徳蔵(大正14年生) 鍋横市場は現在の鍋横交差点先の「しおのビル」と、その横の駐車場(本町4-1)のところに、昭和40年代までありました。この辺りは戦災を免れたので、戦前からある古い建物でしたね。 ひとつの大きな建物の中に、八百屋、肉屋…

第3章【2】(5)美容室のお正月風景 語り部:大極幸子(昭和11年生)

語り部:大極幸子(昭和11年生) 昭和39年から、美容室を始めました。当時鍋横に美容室は2,3軒しかありませんでしたが、今はずいぶん増えてきましたね。皆さんが美容室を利用するのも時代とともに変わり、特に髪型やお正月を迎える様子は今とだいぶ違ってい…

第3章【2】(4)印刷ひとすじ 語り部:西田惣一郎(大正6年生)

語り部:西田惣一郎(大正6年生) 通称、字鍋屋横丁と言われていた西町1番地(現本町4-38)に生まれ、昭和5年に学校を卒業して本町通り3丁目(現本町3-31)にあった印刷所で働くようになりました。 この頃鍋横交差点そのば日替わりメニューで評判の洋食屋(…

第3章【2】(3)四つ目垣根に囲まれた植木場 語り部:小川仲子(大正6年生)

語り部:小川仲子(大正6年生) 実家は、この地で関東大震災・戦争を無事にくぐり抜け、父が昭和33年に亡くなるまで植木屋をやっていました。西町花の公園の前一帯(現本町4-3)に植木場(育成畑)があり、周囲は四つ目垣根で囲まれバラの花が咲き乱れていま…

第3章【2】(2)庭に残る石臼 語り部:栗原武弘(昭和2年生)

語り部:栗原武弘(昭和2年生) 昭和12年頃まで、蕎麦粉の製粉所(屋号―河武)を代々家業としておりました。家の東側(本町4-47)に工場と広い蕎麦の干し場があり、いっぱい敷かれた筵上に蕎麦の実を干していたのを覚えています。 それを工場で製粉しますが…

第3章【2】(1)昭和初期の食料品店 語り部:高野マサ(大正4年生)

語り部:高野マサ(大正4年生) 昭和16年、宇都宮から鍋横の葛西屋に嫁いできました。本家は瀬戸物屋でしたが、家の奥に製粉所もあり、蕎麦粉を挽いて近辺の蕎麦屋に売っていました。 裏の空き地はそば殻がいっぱいに積まれ、それをまき代わりに使っていまし…

第3章【2】(扉)商いを通して見た街

(1)昭和初期の食料品店(2)庭に残る石臼(3)四つ目垣根に囲まれた植木場(4)印刷ひとすじ(5)美容室のお正月風景(6)鍋横市場とせんべい屋さん(7)芝居小屋(8)質屋の利用も気楽に(9)自動車修理も数少なく(10)ラジオは注文を受けてから(11)花…

第3章【1】(4)近道は路地を抜けて 語り部:西田ヨシ子(大正11年生)

語り部:西田ヨシ子(大正11年生) 生まれてから現在まで鍋横以外に住んだことがないのです。現自宅の前が実家で、遠縁に当たる主人と結婚し、戦前は西町1番地(現本町4-38)に住んでいました。 昔のまちは敷地の周りをブロック塀などで囲んでなく、家と家の…

第3章【1】(3)清水窪 語り部:秋元 實(大正14年生)

語り部:秋元 實(大正14年生) 杉並区との区境に近いこの地で生まれ育ちましたので、和田のあたりは良く覚えているのですが、地域で子どものころの思い出に残る懐かしい場所というと清水窪と呼ばれていたあたりですね。 ちょうど、本郷小に通う道筋で、まる…

第3章【1】(2)鍋横交差点の角から 語り部:江藤利雄(大正5年生)

語り部:江藤利雄(大正5年生) 先々代が明治時代の中頃「阿波屋」から分家し、現在地(中央3-34)で商売を始めて以来、昭和34年からの地下鉄工事や都電の廃止など、青梅街道の移り変わりを、見たり聞いたりしてきました。 小学生の頃(昭和10年代前半)は比…

第3章【1】(1)拡幅前後の青梅街道 語り部:植野國男(大正6生)

語り部:植野國男(大正6生) 青梅街道が昭和4年に拡幅されることになり、米屋をやっていた私の家は道路になるということで立退きとなりました。拡幅前の道幅は10軒位(約18m)だったでしょうか。 真ん中を西武電車が走っていました。雨が降ると道がぬかる…

第3章【1】(扉)道・街道・道路

鍋屋横丁交差点。手信号と東横バスが中ほどに見えます(中野町誌より) 鍋横地域のほぼ中心を東西に2本の道路が通っています。 一つは「青梅街道」です。慶長年間に江戸城の改築や寺院の造営に使う石灰を産地の青梅から江戸に運ぶ為に拓かれました。 当時は…

第2章【10】(5)伊藤整氏奮闘の生涯

息子の礼が父親の思い出を綴ったもので、青梅街道の夜店に行った事や、赤痢に罹って鍋屋横丁の井口医院で診てもらった事などが書かれています。

第2章【10】(4)釣堀の思い出 語り部:秋元雅之助(大正12年生)

昭和23年頃までありました。 双葉山(元横綱)など有名な人も来ていたそうです。 小学校4~5年の頃、大変釣好きな叔父が四谷に住んでいて、この辺りに土地を貸していた関係で地代を集めに毎月鍋横に来ていました。その度に私かお供をして、釣堀に案内して行…

第2章【10】(3)夜鳥

1,631平方メートの敷地にあった大小3つの池 作家伊藤整(1905年~1969年)は、昭和5年に中野町新町3838(本町6丁目)で新婚生活を始め、昭和9年に千代田町38(本町5丁目)に転居しました。 「夜鳥」は昭和11年2月に執筆された随筆で、当時の千代田町(本町5 …

第2章【10】(2)地下鉄(メトロ)に乗って

著者は作家浅田次郎で昭和30~40年の鍋屋横丁が登場します。家族の葛藤を抱え、人生にくたびれきった中年サラリーマンが体験するタイムトリップの物語です。 主人公が地下鉄新中野駅を出ると東京オリンピックの開催の年(1964年)で、当時の鍋屋横丁の様子が…

第2章【10】(1)目白三平随筆集

平成10年まであった椎の木 屋根から突き出した木について作家中村武志(1909年~1992年)がこの著書の中にこう書いています。「そこには先住者がいた。二人ではなく2本の椎の木たった。 家を建てるには、椎の木は邪魔である。しかし先往者であり、樹齢55年の…

第2章【10】(扉)本の中にみる”鍋横”の記述

(1) 目白三平随筆集(2) 地下鉄に乗って(3) 夜鳥(4) 釣堀の思い出(5) 伊藤整氏奮闘の生涯

第2章【9】(3)慈眼寺の石仏群

慈眼寺の石仏群 境内には青梅街道の沿道にあったものなどを移設し、安置した石仏が多数あります。馬頭観音は頭上に馬頭をつけ、角柱部分は道しるべになっています。 左あふめ道(青梅)、右いくさ道(井草)、と記されていて元は青梅街道と石神井道との分岐…

第2章【9】(2)鍋捨横丁の由来 語り部:横田美桜多(明治45年生)

地図 この道は、かつては青梅街道から本郷氷川神社までの参詣道でした。昭和10年に中野新橋通りが青梅街道に直結してから、人通り少なくなりましたね。 鍋屋の横田家とは親戚筋にあたり、鍋の一字と義父の横田捨五郎の捨と組み合わせて鍋捨の屋号としたそう…