なべよこ観察隊|鍋横物語 見たい 聞きたい 記録したい|東京都中野区

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

2019-01-09から1日間の記事一覧

第1章【1】(4)阿波屋呉服店の角地と安田銀行

昭和18年10月安田銀行中野支店は、現中央4丁目、青梅街道から追分通りに入るところで営業を開始しました。この店舗は強制疎開されたり、昭和20年5月の束京大空襲で焼失したりしたため、何度か移転を繰り返しました(巴屋の項参照)。 戦後、安田銀行は富士銀…

第1章【1】(3)阿波屋(本町4-44)

現在呉服店を営む「阿波屋」は、江戸時代この地で紺屋として有名でした。中野村の藍染めの紺屋は、その後、幕末まで1軒しかなく、手広く商売を行っていたそうです。 嘉永7年(1854年)の諸問屋名前帳によれば、紺屋問屋組合の十番組に名を連ねたほどの紺屋…

第1章【1】(2)鍋屋の跡あたり

江戸時代、鍋屋があった横丁の曲がり角に現在、三菱銀行があります。以前の土地の持ち主は、徳田材木店と阿波屋呉服店だそうです。東京パンが借りて営業していました。 このパン屋さんは、戦前ではしゃれたお店だったそうです。戦後、ここはしばらく空き家に…

第1章【1】(1)鍋屋

渋谷の恋文横丁、品川の青物横丁とならび東京の三大横丁のひとつとして名高い鍋屋横丁。名前の由来ともなっている鍋屋は、草もちなどを出す茶屋として江戸時代大変に繁盛していたそうです。このことは、堀之内妙法寺記にその様子が描かれています。 また、鍋…

第1章【1】鍋屋横丁界隈の変遷と現在

江戸城の普請や寺院の造営に必要な石灰を、青梅の成木などから運ぶ道として青梅街道が拓かれました。 文政年間(1818~1829年)に堀之内の妙法寺への参詣が増えるにつれて道幅も拡げられ、次第に商人が進出し賑わうようになりました。なかでも「鍋屋」は、美…

なべよこ観察隊の生い立ち

平成6年発行「見たい 聞きたい 記録したい」より抜粋 ここ数年来、鍋横のまちが著しく変化しています。都庁舎の新宿移転やバブル経済に影響を受けたのでしょうか。建築ラッシュの状態がまちの中でも見られます。まちの発展は大変歓迎されることですが、古い…

鍋横物語 はじまり

鍋横物語は、「なべよこ観察隊」が平成6年から平成21年まで、計4回にわたり編集・発行した冊子「見たい 聞きたい 記録のこしたい」の内容を掲載したものです。 「見たい ききたい 記録のこしたい」は、なべよこ観察隊がまちの移り変わりや古いものの調査結果…