なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第1章【2】道の変化とまち

第1章【2】(5)交通機関

後ろに西町天神の大いちょうが見えます 鍋横地域の足の便のよさは格別、地下鉄丸の内線をはじめ、都や京王のバスで合計7つのルートがあり、まさに四通八達の交通機関に恵まれています。渋63、宿45、中82、中81、中71、王78、宿91などのバスルートを下の地図…

第1章【2】(4)十貫坂(飯塚善太郎 横尾常次郎 安藤幸好・談)

杉並方面から中野通りへ向けて 十貫坂上交差点から入っていく一方通行の坂です。「名前の由来には、農家の野菜を大量に積んだ大八車が、十貫目を超えると坂が急なために登れなかったことから、中野長者が使用人を使って十貫のお金を埋め、秘密保持のためその…

第1章【2】(3)妙法寺への参詣道

妙法寺への道標(お題目石) 杉並区にある妙法寺は、元禄5年(1692年)に目黒区碑文谷の法華寺から目蓮上人の木像を移して以来、厄除けに霊験があるとして参詣する人が増えました。江戸時代中頃、鍋屋のあった辺りで青梅街道から分岐する参詣道が新たに作ら…

第1章【2】(2)沿道の様子

《明治末期から大正にかけて》 唐沢政次郎・談 あたしの子どもの頃は、青梅街道沿いに新宿から今の新中野郵便局までずつと一列に家はあったんです。ほとんど商家でした。 それから先はずっと畑でね。家の後ろは九尺二間で長屋があるだけであとは全部畑。挑園…

第1章【2】(1)青梅街道

「堀之内妙法寺記」より 江戸五街道の一つ、甲州街道の脇道であり、慶長年間(徳川家康が江戸幕府を開いたのは慶長8年-1603年)、江戸の城郭や寺院の造営に使う石灰を、産地の成水、小木曽地区(青梅の北)から江戸に運ぶために拓かれました。はじめ御白土…

第1章【2】(扉)道の変化とまち

地域を通る大きな道路というと、青梅街道、中野通り、三味線橋通り、消防署通りがまず思い浮かびます。いずれも車の交通量が多く、バスの路線にもなっています。 ところが、少し昔の地図には中野通りにあたる道は辿(たど)れません。 一方、道幅も狭く、人の…