なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第1章【6】なべよこめぐり

第1章【6】(16)西町天神(中央5-19)飯塚善太郎・談

杉並区と境を接する位置にあり、もともとこの神社は境界を守護するという性格をもっていたと考えられます。 ここには水神弁財天豊穣保食の稲荷神が共に合祀されています。 社の入り口にある大いちょう(公孫樹※)は、地上5mくらいから上がありません。江戸…

第1章【6】(15)廣島宅の稲荷(本町6-21)廣島みえこ 73歳・談

屋敷内にある赤い鳥居の稲荷は、病気がちの息子のために建立したものです。 山形県に疎開中、当時2歳の息子のからだが弱く、高名な医者に診せようかと近所の人に相談したところ、「昔はこのあたりに稲荷があったので、それを祀っておはらいをした方がよい」…

第1章【6】(14)五福稲荷(本町6-29)

妙法寺とは縁が深い稲荷宮で、五穀(米・麦・粟・きび・豆)やあらゆる食物、蚕桑を司る神である農業神を祀ってあるそうです。 名前の由来は、旧中野区本町通り5丁目2番地9(5丁目29番地)の地番にあった時期、その地番をそのまま「五・二・九」いわゆる「ゴ…

第1章【6】(13)杉山公園の地蔵尊(本町6-15)

明治の実業家で北海道開拓事業に携わった杉山裁吉氏が娘の病気療養のため、自然環境豊かなこの地に居を構えましたが、療養のかいなく25歳で亡くなりました。 その後、夫人も逝去され、それを機に邸宅を寄付することにし、親子三体の地蔵尊を彫った石碑を建立…

第1章【6】(12)出生稲荷(本町4-44)高橋梅太郎・談

本社は、貞享4年(1687年)に京橋区南鍛治町にありました。それは、日本橋南之絵図・八丁堀・霊岸島文久3年(1863年)亥年再刻に記載されています。 当家の先代によって明治40年に京橋からこの地に勧請されました。戦前は誰でもお参りできるようになっていま…

第1章【6】(11)真言宗豊山派 慈眼寺(中央3-33)本村修補住職・談

当院は、初め慈眼堂橋(堀越学園そば)の西方に位置していましたが、江戸時代に現在地に移りました。境内左手にある氷川堂には、大変慈悲深く「生き仏」と慕われた僧・覚順※1を祀ってあります。 金色のパコタは、タイ国バンコックにある王立一級寺院ワット・…

第1章【6】(10)阿波屋の稲荷(本町4-44)

正一位末広稲荷 当時の阿波屋の当主であった江藤喜三郎さんが、文政6年、槇屋平兵衛と共に京都伏見稲荷を訪れ、現在の五柱五成と一緒にお墨付きをいただいたということです。 このお墨付きは、現在は不明となっていますが、社は当時のままお祀りしてあります。

第1章【6】(9)五柱五成神社(本町4-30)小川護祐・談

正一位末広稲荷 文政6年(1823年)、京都伏見稲荷大社より槇屋平兵衛(新田義貞の子孫)が勧請し、自宅に祀りました。 この槙屋平兵衛には子どもがいなかったので、名跡を大塚平兵衛に譲りました。自宅土地内に祀ってあったお稲荷さんを、昭和5年、一族一門…

第1章【6】(8)出世地蔵(本町4-5)伊井せつ・談

地下に埋められていたものを世に出したことからこの名前がつけられました。 蔵を造る際に石を埋め込む作業をしている時に地蔵も一緒に入れてしまったらしく、以来、お世話になった隣家や自分白身にけがや病気などよくないことがたて続けにおこりました。 常…

第1章【6】(7)薬師堂

この薬師堂は、元応元年(1319年)には下記地図の場所にあったとみられていますが、明和年間(1764年~1771年)に火災により焼失したようです。本尊として祀られていた薬師如来は、福寿院(本町3-!2)に移され現在も秘仏として大切に祀られています。 このこ…

第1章【6】(6)指さし地蔵(本町5-21)

かつてこの辺りにあった薬師堂に置かれていたものだといわれています。 前面は、風化によって何と刻まれているか分かりませんが、右側面には妙法寺を示す道しるべが刻まれているため、指さし地蔵と呼ばれています。 珍しい手指し図法がみられるこのお地蔵様…

第1章【6】(5)秋津子育て地蔵尊(本町5-21)津田正治・談

秋元雅之助氏は、子どもが健康に育つようにお地蔵様をたてましたが、戦争で焼けてしまいました。 秋元家から津田家へ嫁いだ母は、娘(正治さんの姉)を亡くしたこともあって再建を思い、昭和24年に建立しました。 そして、両家の名字である、秋元の秋と津田…

第1章【6】(4)ちからさん(本町4-13)市川啓一・談

昭和何年頃か定かではありませんが、父が庭で白蛇を見つけました。 行者さんに聞いたところ「あなたに祀ってもらいたいので現れたのだろう」と言われ、昭和18年6月26日にご神体を白蛇としてお祀りしました。 戦火でこの辺一一帯が庭木まで全て消失した時に、…

第1章【6】(3)一願地蔵尊(本町4-13)渡辺さゆみ・談

「18年間生きられたらお地蔵様にしてあげようね」と、飼い猫エリに常づね話しておりましたが、ついに老衰で亡くなりました。 18年間には少し足りませんでしたが、心のささえとなってきたエリの供養と、生活の資となってきた三味線に使われていた犬・猫の供養も…

第1章【6】(2)日の出地童尊(本町4-13)杉田薫子・談

昭和24、5年頃、妹が病気になりなかなか治らず、お地蔵様を祀るとよいと言われました。 そこで、昭和25、6年の8月23日に日の出地童尊と刻まれたお地蔵様を石屋さんから購入し、庭に祀りました。おかげで病気も治り、それ以来お地蔵様を大切に守ってきています…

第1章【6】(1)本郷氷川神社(本町4-10)

中田憲文・談 文明元年(1469年)、太田道潅が江戸城鎮護のため、武蔵の国一の宮大宮永川神社の神霊を、本郷と雑色(現在の弥生町にある氷川神社)に勧請分祀したものです。徳川幕府開設後は、本郷村の鎮守社となりました。 素戔鳴尊を祀っています。昭和20…

第1章【6】(扉)なべよこめぐり

地域には、村の鎮守の氏神様、願かけのお地蔵様やお稲荷さんなど、古くから人びとの心のよりどころとして親しまれてきた場所がいくつかあります。そこは、今でも毎年祭礼が行われ、子どもから大人まで楽しみにしています。 まちを歩いてみると、 それとは別…