第2章【5】神田川
本郷小の記章 蛍なんていたもなにも夏になると田んぼのうえにザーッとでしたよ。さかんに蛍とってね。学年で6年と5年かな。籠に蛍を入れて、二重橋までもっていって放したんですよ。毎年、行事だったんです、あたしの小学校時分のね。本郷小の記章も蛍でしょ…
千代田町会の南側を流れている神田川は、その昔、夏になるとホタルがたくさん飛び交い、それを若者たちが捕まえては千代田の皇居に行って放していました。町名を付けるとき、その若者たちが町の重鎮となっており、昔の思い出から千代田と名付けたと聞いてい…
昭和26年頃の神田川の様子 川の周りにあった田んぼは、春になると一面れんげ草の花でピンクに染まります。その花を摘んでは、冠や花飾りを作って遊びました。とにかくホタルはたくさんいましたね。川に電気コードを入れてウナギを電気ショックで捕まえたりし…
語り部:清水吉右ヱ門(大正5年生) 私は生まれてから現在の地に暮らしています。子どものころは学校から帰るとカバンを放りだして、木登りやベーゴマをしたり、神田川で泳いだりと、今のようにたくさん遊び道具があったわけではありませんが退屈はしません…
江戸初期に江戸市民の飲料水を確保するために、徳川家康は大久保藤五郎忠行に上水道を造るよう命じ、水源を井の頭池にとって、慶長19年(1614年)に開通しました。