第3章【1】道・街道・道路
語り部:西田ヨシ子(大正11年生) 生まれてから現在まで鍋横以外に住んだことがないのです。現自宅の前が実家で、遠縁に当たる主人と結婚し、戦前は西町1番地(現本町4-38)に住んでいました。 昔のまちは敷地の周りをブロック塀などで囲んでなく、家と家の…
語り部:秋元 實(大正14年生) 杉並区との区境に近いこの地で生まれ育ちましたので、和田のあたりは良く覚えているのですが、地域で子どものころの思い出に残る懐かしい場所というと清水窪と呼ばれていたあたりですね。 ちょうど、本郷小に通う道筋で、まる…
語り部:江藤利雄(大正5年生) 先々代が明治時代の中頃「阿波屋」から分家し、現在地(中央3-34)で商売を始めて以来、昭和34年からの地下鉄工事や都電の廃止など、青梅街道の移り変わりを、見たり聞いたりしてきました。 小学生の頃(昭和10年代前半)は比…
語り部:植野國男(大正6生) 青梅街道が昭和4年に拡幅されることになり、米屋をやっていた私の家は道路になるということで立退きとなりました。拡幅前の道幅は10軒位(約18m)だったでしょうか。 真ん中を西武電車が走っていました。雨が降ると道がぬかる…
鍋屋横丁交差点。手信号と東横バスが中ほどに見えます(中野町誌より) 鍋横地域のほぼ中心を東西に2本の道路が通っています。 一つは「青梅街道」です。慶長年間に江戸城の改築や寺院の造営に使う石灰を産地の青梅から江戸に運ぶ為に拓かれました。 当時は…