第3章【2】商いを通して見た街
語り部:庄司みき(大正4年生) 昭和16年に房総(千葉県)から鍋横の花屋「みどり屋」(中央4-1)へ嫁いで、それ以来花に囲まれての生活です。 昔も今も店に並ぶ花を市場で仕入れて販売するのは同じですが、温室栽培がないため、四季折々の花が1年を通して彩…
語り部:小澤岩男(昭和5年生) 兄が、昭和28年に本郷通り(スーパーつかさの前)に清和電機を開店し、私も働くようになりました。当時は電気屋で扱うものといったら電球と電熱器くらいでした。電気蓄音機などは、神田で部品を買ってきて、組み立てて売って…
語り部:高橋喜久雄(大正7年生) 小学校6年の頃、新宿から引っ越して来て以来70年余り鍋横に住んでいます。近くに開校(昭和3年)したばかりの本郷小学校があり、近辺は窪地だったので葦が生えていました。家は少し高台にあり、辺りは一面原っぱで数軒の家…
語り部:石川 久子(大正4年生) 生後まもなくから、ずっと鍋横に住んでいます。父が質屋を営んでおり、子どもの頃、暮れになると正月用の着物を出しに来る人が多かったですよ。 包んであった和紙をたたむのを妹と競争で手伝いました。大晦日は特に忙しく、…
語り部:長谷川まつ江(大正6年生) 昭和25年に現住所に越してきました。周囲は原っぱで、家の前(本町4-19)に芝居小屋がありました。古いけれど立派な建物で、舞台も大きく2階にも客席がありました。 主人の妹が日舞の師匠をしていたので芝居がない時は、…
語り部:百瀬徳蔵(大正14年生) 鍋横市場は現在の鍋横交差点先の「しおのビル」と、その横の駐車場(本町4-1)のところに、昭和40年代までありました。この辺りは戦災を免れたので、戦前からある古い建物でしたね。 ひとつの大きな建物の中に、八百屋、肉屋…
語り部:大極幸子(昭和11年生) 昭和39年から、美容室を始めました。当時鍋横に美容室は2,3軒しかありませんでしたが、今はずいぶん増えてきましたね。皆さんが美容室を利用するのも時代とともに変わり、特に髪型やお正月を迎える様子は今とだいぶ違ってい…
語り部:西田惣一郎(大正6年生) 通称、字鍋屋横丁と言われていた西町1番地(現本町4-38)に生まれ、昭和5年に学校を卒業して本町通り3丁目(現本町3-31)にあった印刷所で働くようになりました。 この頃鍋横交差点そのば日替わりメニューで評判の洋食屋(…
語り部:小川仲子(大正6年生) 実家は、この地で関東大震災・戦争を無事にくぐり抜け、父が昭和33年に亡くなるまで植木屋をやっていました。西町花の公園の前一帯(現本町4-3)に植木場(育成畑)があり、周囲は四つ目垣根で囲まれバラの花が咲き乱れていま…
語り部:栗原武弘(昭和2年生) 昭和12年頃まで、蕎麦粉の製粉所(屋号―河武)を代々家業としておりました。家の東側(本町4-47)に工場と広い蕎麦の干し場があり、いっぱい敷かれた筵上に蕎麦の実を干していたのを覚えています。 それを工場で製粉しますが…
語り部:高野マサ(大正4年生) 昭和16年、宇都宮から鍋横の葛西屋に嫁いできました。本家は瀬戸物屋でしたが、家の奥に製粉所もあり、蕎麦粉を挽いて近辺の蕎麦屋に売っていました。 裏の空き地はそば殻がいっぱいに積まれ、それをまき代わりに使っていまし…
(1)昭和初期の食料品店(2)庭に残る石臼(3)四つ目垣根に囲まれた植木場(4)印刷ひとすじ(5)美容室のお正月風景(6)鍋横市場とせんべい屋さん(7)芝居小屋(8)質屋の利用も気楽に(9)自動車修理も数少なく(10)ラジオは注文を受けてから(11)花…