なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第4章【1】鍋屋横丁界隈

第4章【1】(13)炭の俵は長方形 語り部:渡邉 時(大正10年生)

語り部:渡邉 時(大正10年生) 昭和22年から追分通りで燃料店を営んでいます。この頃、都市ガスも通っていましたが、燃料の主流はまだ炭、まき、石炭でしたね。 炭は俵(15㎏)に入っていて、のこぎりで短く切って売っていました。昭和30年代に電動が開発さ…

第4章【1】(12)みんなで駆け回った追分通り 語り部:鬼沢 信義(昭和10年生)他

語り部:鬼沢 信義(昭和10年生)、成沢 博紀(昭和15年生)、菊川 信夫(昭和8年生)、今宮 朝男(昭和8年生) 戦前の追分通りは現在と道幅はあまり変わりませんが、牛車や馬車が行き来していて賑わいがありました。鍋屋横丁の縁日も追分通りまで伸びること…

第4章【1】(11)私と追分通り 語り部:川本正太郎(大正11年生)

語り部:川本正太郎(大正11年生) 地下鉄新中野駅近くの追分通り沿いに住んで60年になります。戦前まで近くの転車台(バスなどが狭い場所でも方向転換できるように考案された回転盤)があり、新宿と堀ノ内方面のバス往復に活用されていました。転車台に乗っ…

第4章【1】(10)オドヲン座を語る

オドヲン座を語る 映画が庶民の楽しみのひとつだった時代、鍋横には3つの映画館がありました。昭和54年に閉館たオデヲン座には色々な思い出があります。 (木口 弘・談)妻との初デートはオデヲン座で洋画を観て、東京パンのパーラーでお茶を飲みました。当…

第4章【1】(9)甘くて苦い仁丹の味 語り部:小宮哲郎(昭和6年生)

語り部:小宮哲郎(昭和6年生) 昭和26年に父親のあとを継いで、三味線橋通りで、ふすま、壁紙から屏風などを幅広く扱う表具店を営んでいました。昭和30年代は商店の数も多く賑わいがありました。 このあたりで印象に残っていることは、戦災で焼け残った高野…

第4章【1】(8)昭和30年頃の三味線橋通り商店街と追分通り

昭和30年頃の三味線橋通り商店街と追分通り

第4章【1】(7)少年車掌 語り部:宮下義勝(昭和6年生)

語り部:宮下義勝(昭和6年生) 紺のブレザー、紺の帽子に白手袋、首からがま口の黒革鞄を提げ、都バスの車掌をしていました。昭和22年頃のことです。私が当時18歳で、この年頃の車掌はみな「少年車掌」といい、それが職業名となっていました。 堀の内営業所…

第4章【1】(6)「ジュー」ソースにつけた串カツの音 語り部:上島昌之(大正14年生)

語り部:上島昌之(大正14年生) 昭和10年頃のことですかね。鍋横の思い出はなんと言っても夜店ですね。毎週土曜日、日曜日と鍋横交差点を中心に特に北側の歩道にたくさんの店が並ぶんです。慈眼寺から追分通りの入り口付近まででしたが、子どもの頃にはずい…

第4章【1】(5)昔なつかし東京音頭 語り部:鈴木淑彦(昭和4年生)

語り部:鈴木淑彦(昭和4年生) 昔、鍋横地域は中野の中心で、有名人や都心に通勤する会社員が多く住んでいたように憶えています。デパートの配送所が近接していたのも、おそらくご進物の多い彼らにいち早くお届けする必要があったものと推測できます。 最近…

第4章【1】(4)鍋横と東京パン 語り部:新井喜助(大正8年生)

語り部:新井喜助(大正8年生) 東京パンは1階がパン販売と喫茶、2階が洋食、3階が厨房になっていました。 当時のお客さんの話によると、洋食部はこの辺りでは数少ない洋食器を使用する店で、ポークソティが評判であったとか。また、窓辺から西武電車や青バ…

第4章【1】(3)昭和初期の鍋横交差点

地場産業のそばを粉にする高野製粉所。近くに石森製粉や川武などがありました。 荒物から文具までに日用品ならなんでも揃う江藤商店 デーパートのはしり阿波屋。 隣の江藤家具店とで嫁入り道具を揃えるのは当時のステータス。 五柱五成のいちょうを背にする…

第4章【1】(2)老舗-阿波屋呉服店 語り部:江藤喜久子(大正12年生)

語り部:江藤喜久子(大正12年生) 幕末から現在に続く呉服店の一人娘として生まれ、鍋横の店が空襲で焼失するまで、祖父母、父母と三世代で住んでいました。その後は焼け残った本町6丁目に居を移して以来60数年になります。戦後店は再開しましたが、商売の…

第4章【1】(1)戦前の鍋横は中野の銀座 語り部:江藤春雄(大正13年生)

語り部:江藤春雄(大正13年生) おかめ屋レコード店では朝から晩まで当時の流行歌(愛染かつら・東京音頭等)がスピーカーから流れっぱなしでした。現在だとうるさいとか騒音の対象になるところですが、それが許された時代でした。 阿波屋の店内の広い階段…

第4章【1】(扉)鍋屋横丁界隈

第4章【1】(扉)鍋屋横丁界隈 鍋横交差点の界隈には、モダンな建物や洒落た店が多くありました。デパートのような阿波屋、東京パン、キラキラ光る銀食器のお店、銀のナイフやスプーンを使う洋食屋さんなどとても華やかでした。 戦前の鍋横は中野の銀座 老…