第4章【2】賑わいのあった鍋横商店街
昭和18年10月 安田銀行中野支店として現中央4丁目2-36 モナミパチンコ店の辺りに出店するが、強制疎開となる。 昭和20年5月22日 現在の地に移るが、5月25日空襲により焼失し一時、淀橋支店に移る。 昭和20年8月 本町通4丁目15(本町4丁目21-13)巴屋呉服店を…
語り部:小林ミツ(大正7年生) 私が生まれる前、家族は文京区の本郷に住んでいました。関東大震災で家が焼け、翌年鍋横に越してきて、大正の終わりか昭和の初め頃に、父が「本郷堂書店」を開業しました。店名の由来は、文京区の本郷から鍋横の本郷の地に来…
語り部:天野弘子(昭和6年生) 私が生まれる前、家族は文京区の本郷に住んでいました。関東大震災で家が焼け、翌年鍋横に越してきて、大正の終わりか昭和の初め頃に、父が「本郷堂書店」を開業しました。店名の由来は、文京区の本郷から鍋横の本郷の地に来…
語り部:深山雄暉(昭和9年生) 母親が現在の場所に文具店を開店したのは昭和20年のことです。9月から中野本郷小の6年生に転校して、昭和31年に店を引き継ぎ、現在に至っています。 「鍋屋横丁に引越しよ」と言われた時、有名な地名だし、浅草の仲見世みたい…
語り部:高野キヨ子(大正9年生) 鍋横通りで下駄屋を営んでいた頃、周囲にはたくさんの商店があり、ほとんどの日用品は近所でこと足りた時代でした。通りをはさんで向かい合って魚屋があったりしました。 下駄を商品として店に出す前にすることがあります。…
第4章【2】(扉)賑わいのあった鍋横商店街 賑わいのあった鍋横商店街 現在は時代の変遷で商店街の数も減ってしまいましたが、昭和30・40年代は100店舗以上もあり、大体の生活用品は地域でこと足りました。 昭和40年代の鍋横商店街 福引の景品は三種の神器…