江戸城の普請や寺院の造営に必要な石灰を、青梅の成木などから運ぶ道として青梅街道が拓かれました。
文政年間(1818~1829年)に堀之内の妙法寺への参詣が増えるにつれて道幅も拡げられ、次第に商人が進出し賑わうようになりました。なかでも「鍋屋」は、美しい梅林をもつ茶屋として大変繁盛していました。
しかし、現在その名前は地名として残っているだけです。その後、江戸から明治・大正・昭和へと時代と共に道路も整備拡張され、多くの人びとが往来し、まちも大きく移り変わっていきました。
そこで、鍋屋横丁の変遷と現在を調べてみました。
- 鍋屋
- 鍋屋の跡あたり
- 阿波屋(本町4-44)
- 阿波屋呉服店の角地と安田銀行
- 写真で見る移り変わり
- かさいや製粉の跡
- 巴屋(本町4-20)
- 映画館