なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第1章【1】鍋屋横丁界隈の変遷と現在

 江戸城の普請や寺院の造営に必要な石灰を、青梅の成木などから運ぶ道として青梅街道が拓かれました。

 文政年間(1818~1829年)に堀之内の妙法寺への参詣が増えるにつれて道幅も拡げられ、次第に商人が進出し賑わうようになりました。なかでも「鍋屋」は、美しい梅林をもつ茶屋として大変繁盛していました。

 しかし、現在その名前は地名として残っているだけです。その後、江戸から明治・大正・昭和へと時代と共に道路も整備拡張され、多くの人びとが往来し、まちも大きく移り変わっていきました。 

 そこで、鍋屋横丁の変遷と現在を調べてみました。 

  1. 鍋屋
  2. 鍋屋の跡あたり
  3. 阿波屋(本町4-44)
  4. 阿波屋呉服店の角地と安田銀行
  5. 写真で見る移り変わり
  6. かさいや製粉の跡
  7. 巴屋(本町4-20)
  8. 映画館