江戸初期、徳川家康は大久保藤五郎忠行に江戸市民の飲料水として、上水を造るように命じました。水源を武蔵野の井の頭池にとって拓かれたのがこの神田川で、慶長19年(1614年)に開通しました。当時の川幅は4~9mあり、ところどころで分流され水田を濯漑し重宝されていました。
昭5、6年頃からたびたび護岸工事が行われ、今ではコンクリートで固められた風情のない川になってしまいましたが、以前は子どもたちにとって格好の遊び場となっていました。
明治末期から昭和初期にかけ神田川で遊んだ想い出を、現在も鍋横にお住まいの方がたに話していただきました。