第2章【1】(扉)青梅街道界隈
慶長年間に江戸の城郭や寺院の造営に使う石灰を産地の成木、小木曽地区(青梅の北)から江戸に運ぶために拓かれて以来、何回かの拡幅を重ね、現在のような幹線道路となりました。
江戸中期から堀之内妙法寺への参詣が盛んになるにつれ、この街道沿いも発展しました。鍋屋横丁と呼ばれるこの辺りは戦前までは多くの老舗が立ち並び、中野の中心的なまちとして発展してきました。
慶長年間に江戸の城郭や寺院の造営に使う石灰を産地の成木、小木曽地区(青梅の北)から江戸に運ぶために拓かれて以来、何回かの拡幅を重ね、現在のような幹線道路となりました。
江戸中期から堀之内妙法寺への参詣が盛んになるにつれ、この街道沿いも発展しました。鍋屋横丁と呼ばれるこの辺りは戦前までは多くの老舗が立ち並び、中野の中心的なまちとして発展してきました。