なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第2章【3】(1)しがらき山の一本松 語り部:中村せい(明治39年生)

語り部:中村せい(明治39年生)

語り部:中村せい(明治39年生)

 しがらき山の一本松は、堀之内街道沿いにあって、大きく枝を広げて日差しを遮っているためか、木の下はいつもジメジメしていたのを覚えています。

 一本松の下の方は谷底のようになっていて、降りていくと清水が湧き、荒れ果てた東屋あずまやがありました。私はそこを「お曼陀羅屋敷まんだらやしき」と呼んでぃました。その脇には小川が流れていて、緑風荘(昭和16年頃建築)の裏から杉並能楽堂の前の沼を抜けて、神田川へと注いでいました。

 シジミやメダカを取り、神田川ではドジョウを、本郷たんぼではセリを摘んだりと、現在では想像もできないほどの自然がいっぱいでした。小川と言っても雨が降ると増水し流れが速くなり、昭和27~28年頃だったと思いますが、落ちて溺れた人もいました。

 私の家の辺りもいも畑や麦畑で、その先に安田邸の洋館がそびえていました。安田邸の脇の道は竹やぶで裸電球が薄暗く、提灯で足元を灯しながら歩きました。昭和の始めには、その道沿いにあった国鉄の跡地(和田1‐20付近)に汽車が置いてあったのを覚えています。

杉並能楽堂前にあった沼

杉並能楽堂前にあった沼