なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第3章【4】(5) 中野通りのむかし 語り部:木口弘(昭和2年生)

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語り部:木口弘(昭和2年生)

 昭和10年に本町5丁目に越してきて、本郷小学校3年に編入しました。当時は、現在の十貫坂上の交差点から中野通りを下った辺りで急に道が拡がっていて、そこまでは道が狭いため車の往来も少なく道路でよく野球をしました。

 千代田公園の前の道と中野通りの角付近にはお稲荷さんがあり、中野通りの坂は“稲荷坂”バス停も“稲荷前”という名前がついていました。そばの清水邸に大きな欅があり、フクロウが居を構えていました。夜ともなると鳴くものですから不気味で、子ども心に怖がっていたことを覚えています、清和電機さんの場所には「タカラ館」という映画館かありよく観にいきました、蚊が多かったので蚊取り線香と座布団は必ず持って行きましたね。

 神田川は、川遊びや魚とりなど、子どもの格好の遊び場でした。中州があり魚とりをする時は、片側ずつ水の流れを止めて捕っていました。成果ですか?そりゃもちろん大漁でしたよ。