なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第3章【5】(1)怖かった関東大震災 語り部:松倉英一(明治40年生)

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語り部:松倉英一(明治40年生)

 ここ(本町6-17)には、旧制中学3年の時(大正11年)に渋谷区から引っ越してきて以来ですから、かれこれ80年近くになります。当時は中野西町と言っていました。

 引っ越してから1年後に、あの関東大震災大正12年9月)がありました。立っていることができない程の揺れで、裏の竹やぶに逃げて、竹につかまってただ震えていました。幸い近所では瓦や壁が落ちたりする家はあっても、倒壊する家はなかったようです。家の周りは空き地も多かったので、震災後は畑を作り、ほうれん草や二十日大根、ジャガイモなどを植えていました。

 その後、震災で家を失った人が、移り住んでくるようになり、特に大蔵省関係の人が多かったのでこの辺りは「大蔵横丁」と呼ばれていました。