なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第3章【5】(2)カッパの干し場 語り部:三ツ木いと(大正3年生)

語り部:三ツ木いと(大正3年生)

 生まれも育ちも中央です。幼い頃、今の野津医院(本町6-20)付近一帯に芝生の原っぱがあって、よく、バッタを追ったり鬼ごっこをして遊びました。“カッパの干場”と呼ばれて、一面に油紙の厚いのが干してありました。雨合羽をつくっていたんですね。干し終ると、荷馬車で日本橋まで運んでいました。

 当時、青梅街道は路面電車も走っていました。今よりずっと道幅が狭く、電車の窓から軒下の花がつめるくらいでした。関東大震災の前は家が少なく、麦や野菜を作る畑が多かったです。震災後、下町の方から人が移ってきて家が増えた為と、合羽の需要が減った為、いつの間にか“カッパの干場”もなくなってしまいました。私の通っていた桃園第三小学校でも、震災後、生徒が増えたので学校近くのれんげ畑で、青空の下、交代制で勉強したりしました。