なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第4章【6】(1)神田川の友禅流し 語り部:渡邉保彦(昭和9年生)

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語り部:渡邉保彦(昭和9年生)

 家業は染物屋で青山に居りました。付近の川が汚染されて使用できなくなったので、祖父と父が清流を求めて適地を探し、私が5歳の昭和14年に現在の二中前の神田川畔に転居してきました。当時は、まだ家の周りは原っぱでした。川面に渡しを設けて、一反を二つ折りにした5メートルほどの長さのものを10反ぐらい川に流して手作業で反物のノリ落としをしました。一般にこれを友禅流しと言います。関東では友禅という言葉を使わず、江戸小紋という言い方をします。最盛期には同業者が、15軒くらいおりました。

 戦時中は仕事も減り、父も徴用になりましたので休業しました。戦後は絹物でなく、軍用毛布を赤や黒に染める仕事もし、その後、友禅流しも復活しました。昭和36年頃になると川に油が流れてくるようになり、水元作業(水を使用する工程)はすべて井戸水に切り替えて、川での作業はなくなりました。子どもの頃は、家から川に降りられたので、よく友達との川遊びに夢中になっていました。戦時中の焼け跡にあった焼夷弾筒などを川に沈めておいて鰻も沢山獲りました。もちろん全部、天然物ですよ。

 

 

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