なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第4章【6】(2)遊びの宝庫 本郷田んぼ 語り部:味岡常春(大正13年生)

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語り部味岡常春(大正13年生)

 私の生まれた大正13年当時、この地は東京府豊多摩郡中野大字本郷といい、昭和5年には東京市中野区宮里町に変わりました。まだ木の香も残る中野本郷小学校に入学した頃でした。

 当時、学校にプールがなく、神田川善福寺川の合流点にあった中野プールかブース病院近くの温水プールに通ったものです。日々の遊び場といえば本郷田んぼです。家に帰るやいなや、かばんを放り出しては出かけ、小川で魚やどじょう取り、稲田でイナゴや銀ヤンマ捕りをしました。春には一面レンゲ畑で女の子が花輪作りをしていましたね。大人が「ブーンブーン」と唸り凧の大きいのを空高く揚げていて、うらやましく見ていたのを覚えています。田んぼの南側は雑木林でセミやカブトやクワガタを取り、富士高の下の神田川の引き込みではイカダを浮かべ「ターザンごっこ」をしました。麻袋と竹の挟み棒を持った蛇取りが「坊や、マムシを見つけたら3銭あげるよ」と言って袋の中のヘビを見せてくれたりしました。とにかく本郷田んぼでは遊びに事欠くことなく、夢中になって遊んでいました。

 昭和20年の空襲では、この近辺も一面の焼け野原となり新宿まで一望できました。八重桜の大木2本は我が家の火伏せとなり燃えてしまいましたが、区の保護樹木である樹齢100年以上のシイの木は現存しており、今もこの辺りの移り変わりを見つめ続けています。

 

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