なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第4章【6】(4)情緒ある中野新橋 語り部:大野コマ(大正1年生)

f:id:nabeyokonews:20200514140708j:plain

語り部:大野コマ(大正1年生)

 今も住んでいるこの中野新橋で、昭和28年から平成5年まで小料理屋を営んでいました。お店を始めた当時、この付近は三業地でした。三業地というのはね、芸者置屋・待合・料理屋の3つの業種が寄り集まっている地域のことをいうのですよ。ですからこの辺りにも黒塀で囲まれた料亭が何軒もありました。

 お三味線の音が絶えず、夜になると雪洞ぼんぼりの灯やお座敷に通う芸者衆の姿が見え、それは情緒のある街並だったのですよ。私の店では、満席になると常連のお客さんが作った縁台を表に出して宴会を始めるということが、ままありました。するとそこを通りかかった芸者衆がお酌などをしてくのでとても賑やかになりました。昔のことですからね、ギスギスした人もあまりいませんでした。近くに警察の寮があり、地方出身の方も多くいらっしゃいましたので、結婚式に親御さんが来られないときには、私か親代わりになって出席するということも度々ありました。昭和の初期から繁栄した中野新橋三業地も、昭和33年頃から徐々にその影が薄くなってゆきました。

 神田川の氾濫には苦労しましたよ。ひどいときにはお店のカウンターの高さまで水が入ってきたことがあります。現在は新橋から下流が拡幅されたので床上まで浸水することはなくなりました。

 

nakano-nabeyoko.gr.jp