なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第4章【9】(2)配給切符制 語り部:下條 代志夫(大正14年生)

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語り部:下條 代志夫(大正14年生)

 宮里町会はいま本町4・5丁目になりますが、終戦(昭和20年)前は宮里町何番地といい氷川神社が1番地で反時計回りに2番、3番・・・48番地と町会を一巡します。私の所は11番地でした。

 戦前には町会の書記をしていましたが、戦時中はすべて配給切符制で、米、味噌、醤油等の食料品から靴下、下着等の衣料品までこの切符が無ければ買えませんでした。切符の受付、発行を全て町会が担っており、今とは違って町会の構成員でなければ暮らせなかったのです。「特配」といって大工さんなどは米が増配になったり、冠婚葬祭や出征の時にだけ申請するとお酒が配給されました。全員で清酒1本を大切に飲みました。特にお酒は割れたら大変なので子どもになんか持たせられませんでしたね。それほど貴重なものでした。

 昭和19年には「こんなに町会の仕事が忙しいのでなんとかしよう」と、東京都が嘱託にして20円と高い給料をもらいました。でも1回もらっただけで最後の現役入営になってしまいました。

 夜間は灯火管制が敷かれ、どこの家も電球を黒布で覆い、警戒警報が「ブーブー」と10回位鳴ると電気を消し、防空壕に入る準備をしたものです。また、敵機襲来ともなると空襲警報となって「ブー」と鳴りっぱなしになります。これは爆弾が落とされる時で、入営前に2回経験しました。

 

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