なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第2章【7】(4)お風呂屋さん 語り部:大江久也(昭和5年生)

語り部:大江久也(昭和5年生)

語り部:大江久也(昭和5年生)

 昭和6年に私の父がこの地にあった銭湯を引き継いで開業しました。現在は息子が継いでいますが、父子三代は中野でも珍しいと言われます。

 幸運にも戦災に会わなかったので、はるか遠くから子ども連れで入りに来ましたね。戦時中は燃料が無くて、町内のゴミ箱から燃やせるものを集めたり、大八車を引いておが屑を取りに行ったりもしました。

 十貫坂がきつくてね。昭和30年頃に、オート三輪の免許を取って、深川の木場まで廃材を買いに行きました。車1台分くらいの値段なので、荷台の材木を踏み付けて、少しでも多く積もうとしました。

昭和7年に新しい煙突が完成した銭湯

昭和7年に新しい煙突が完成した銭湯

 正月をのんびり過ごしたことはないですね。大晦日は、店を閉めてから来る商店街の人や初詣を済ませて来る人が多く、元日の空が明るくなるまで開けていました。2日は初湯で朝から開店するので、休む間もなく掃除と釜炊きに追われていました。

 今は湯の温度も自動調整で、「おーい、ぬるいよ!」なんて湯船から声がかかることも無くなりました。

 子どもの頃一番辛かったのは、学校から帰ると下足番をさせられたことですかね。サボっているとすぐ履物が入り口に溜まってしまい大変でした。