なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第2章【1】青梅街道界隈

第2章【1】(5)東横バスの名残 語り部:飯塚良司(昭和8年生)

ターンテーブルがあった建物は昭和6年頃の建築で、現在は喫茶店になっています。 戦後、バスが大型化され狭くなって入りきれなくなって廃止されたそうですが、当時の機械がそのまま店内の床下に残っています。 昭和21年に店舗に改造して、東横バスの名前をと…

第2章【1】(4)ターンテーブル(転車台) 語り部:江藤春雄(大正13年生)

語り部:江藤春雄(大正13年生) 記憶によると東横バスが鍋横通りを走っていたのは、昭和20年の頃までと思います。 当時の道幅は現在よりもずっと狭く、バスがやっと通れる位でした。そのためバスが方向を換えるためのターンテーブル(私は「ロータリー」と…

第2章【1】(3)鍋横始発の東横のバス

戦前、鍋横から大宮八幡まで乗合バスが走っていました。 鍋屋横丁(本町4‐30)に東横バスの発着所かありましたが、昭和10年頃の鍋横通りは道幅が狭く、バスがUターンできないので方向転換するために発着所の建物内にターンテーブル(転車台)を設置していま…

第2章【1】(2)兄ちゃんと通った路 語り部:朝倉春江(昭和2年生)

語り部:朝倉春江(昭和2年生) 小学校3年生の頃、宮里37番地(本町4 -24)に引っ越しましたが、それまで通っていた谷戸小学校に2歳年上の「兄ちゃん」といっしょに通学していました。 通学には青梅街道を通っていきましたが、鍋横交差点近くの「野々山パン屋…

第2章【1】(1)昭和初期の洋食屋 語り部:小倉一祐(明治41年生)

語り部:小倉一祐(明治41年生) 私が鍋横交差点近くに洋食レストランを開いたのは昭和3年、20歳のときです。当時、中野駅北口一帯に陸軍の電信隊があったのですが、駅周辺には旅館が2軒あるだけで、中野の中心といえば鍋横から宝仙寺周辺だったんです。 休…

第2章【1】(扉)青梅街道界隈

慶長年間に江戸の城郭や寺院の造営に使う石灰を産地の成木、小木曽地区(青梅の北)から江戸に運ぶために拓かれて以来、何回かの拡幅を重ね、現在のような幹線道路となりました。 江戸中期から堀之内妙法寺への参詣が盛んになるにつれ、この街道沿いも発展し…