第3章【5】まちが変わる
語り部:山内仙太郎(昭和7年生) 鍋横に移り住んで60年余りになります。生まれは静岡ですが、昭和32年から現在のところで質屋を営んでいます。時代の流れとともにまちもいろいろ様変わりしてきましたが、私が一番心に残っているのが戦時中のことです。 昭和…
語り部:鹿山和夫(大正8年生) 関東大震災の後、中野にやってきました。当時の青梅街道は電車やバス、馬車などが行き来する物流の道でした。その道を渡って桃園第三小学校へ通うのを母が心配して、現在地(中央5-10)に越してきました。中央西公園になって…
語り部:池田セツ(明治40年生) 鍋横のこの場所には、関東大震災の年に移ってきましたが、私の家の周りは畑が多く特にナス畑が多かったですね。また、軍人さんが多く住んでいました。戦中、戦後の食糧難の時代には中央線で国分寺まで行きそれからまた乗り換…
語り部:三ツ木いと(大正3年生) 生まれも育ちも中央です。幼い頃、今の野津医院(本町6-20)付近一帯に芝生の原っぱがあって、よく、バッタを追ったり鬼ごっこをして遊びました。“カッパの干場”と呼ばれて、一面に油紙の厚いのが干してありました。雨合羽…
語り部:松倉英一(明治40年生) ここ(本町6-17)には、旧制中学3年の時(大正11年)に渋谷区から引っ越してきて以来ですから、かれこれ80年近くになります。当時は中野西町と言っていました。 引っ越してから1年後に、あの関東大震災(大正12年9月)があ…
第3章【5】(扉)まちが変わる―関東大震災・第二次世界大戦によって― (1)怖かった関東大震災(2)カッパの干し場(3)買出し(4)バラエティに富んだ物売り(行商)(5)まちが変わった日