第2章【7】いろいろな商売
語り部:大江久也(昭和5年生) 昭和6年に私の父がこの地にあった銭湯を引き継いで開業しました。現在は息子が継いでいますが、父子三代は中野でも珍しいと言われます。 幸運にも戦災に会わなかったので、はるか遠くから子ども連れで入りに来ましたね。戦時…
語り部:須山千代子(大正3年生) 主人の実家は、昭和の初め頃まで桃園町(中野駅の南口の五差路付近)で牧場をやっておりました。私は結婚後、しばらくそこで生活していましたが、戦後現在の地に移り牛乳屋を開いて50年位になります。 現在は、紙パックの牛…
語り部:深沢平八(大正9年生) 私の両親は中央3丁目あたりで、さつまいもなどの卸商をしていました。田無や小金井方面の農家の方が人力車や牛車でさつまいもを運んできていたようです。当時は焼きいもや大学いもが庶民 の一般的なおやつでしたが、大正時代…
古くから地域に住む人たちの記憶によって作られた大正末期頃の地図を見ると、現在では聞き馴れないお店が出てきます。どんな内容か調べてみました。 【紺や】 藍染めをする染め物やのことをいう。 当時は半纏や股引きなどを紺色に染めるのが多かった。 【拝…
(1)こんなお店知ってる?(2)お米屋さん(3)牛乳屋さん(4)お風呂屋さん