なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第1章【5】(5)いつ頃のことか覚えていますか?

以前の町の名前(現在の住居表示)

 中野区のまちの区画や地番は、農村から都市へと発展してきた歴史的事情を反映して、境界が不明確であったり、欠番のある地番や飛び番があって極めて複雑でした。

 そこで、昭和29年から町名地番整理のための調査や研究が行われ、昭和32年から実施に着手しました。鍋横地域は昭和42年6月1日に施行され、本町・中央となりました。以前の町名は現在、町会名として名残をとどめています。(「中野区史」昭和編三)

・本町通四丁目(現・鍋横)、本町通五丁目(現・新中野)、
・本町通六丁目、宮里、千代田、西町の六町会

今となっては貴重品です

 

木製の電柱

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 昭和30年頃からコンクリート製の電柱に替わっていった木製の電柱を何本か見つけました。これらの電柱もいずれはまちの景観から消えていくことでしょう。

 

井戸

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 昔は、まち中に多く見られた井戸も昭和34年の地下鉄工事により水脈が変わり、青梅街道沿いの井戸は数が減少しました。現存する井戸は、ほとんどのものが災害時の給水用とされています。

 

ゴミ箱

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 昭和35年までは、写真のようなゴミ箱が使われていました。しかし、回収が能率的でなく、衛生上でも問題があり、昭和36年からポリ容器による収集が始められました。東京オリンピックの昭和39年の頃には、このゴミ箱をまちで見かけなくなってしまいました。

 ところが、この懐かしいゴミ箱を使われているというお宅がありました。この形、なかなか風情があると思いませんか。