なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第1章【6】(16)西町天神(中央5-19)飯塚善太郎・談

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 杉並区と境を接する位置にあり、もともとこの神社は境界を守護するという性格をもっていたと考えられます。 ここには水神弁財天豊穣保食の稲荷神が共に合祀されています。

 社の入り口にある大いちょう(公孫樹※)は、地上5mくらいから上がありません。江戸時代にはすでに大木として近在に知られていたこの木は、昭和54年の台風によって根株もろとも倒れてしまいました。

 何とかこの木を助けたいと考えた地域の人たちが費用を出し合って蘇生のための手当を行いました。その結果、幹の大部分を切り落とし切り口を保護するための蓋をかけた現在の姿になり、熱心な于当のおかげで今では実をつけるまでに回復しています。

※公孫樹
 公孫樹とは、中国古代の言葉で王家(公)も3代(孫の代)たたなければ立派になれないという意味を持ち、歴史を持ついちょうの尊称だそうです。


■祭礼 1月、5月、9月の25日

遠山良徳 85歳・談

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 境内にある梅の木は実がたくさん成るので、梅干しにして防災用に三町会(西町・新中野本町六丁目)で保存しています。また以前は湧き水※があり、弁天池と呼ばれる池がありました。当時は近辺にも湧き水が多く、井戸もたくさんありましたが、地下鉄工事のあと水が干上がってしまいました。

 この神社に燈籠を奉納した山崎又吉さんのことですが、周旋屋をやって財をなした人です。大地主で、今の都民銀行の裏の所に住んでいましたが、息子さんたちを次つぎに亡くして総領と末子だけが残りました。

 そんなことがあったので神社などに寄進されたようです。東中野氷川神社には鳥居を寄進されています。

※涌き水
 弁天池から流れる水が源流となり桃園方面に向かって水路を作っていました。一方、現在の中央西公園の方からも川が流れてきて、2つの川が合流する水の勢いで水車を回していたので、現在もその辺りは水車坂と呼ばれています。

 その水流は、桃園第三小学校の欅前周辺で幅広の浅瀬となり、さらに下流で桃園川と合流していました。今は、その名残として川のない橋(かうしん橋・大正13年1月26日成)が桃三小校門前にあります。

 

馬頭観世音尊(本町4-5)
松津昶夫・談

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 以前は道路沿いにありましたが、家を建てるときに脇に移動しました。
この辺に馬やがあったと言われています。大正10年建立

 

神仏混合の七体(本町4-38)
(妹尾茂一・談)

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 10年ぐらい前に夢を見て、丸い玉みたいなものをもらい、家回りをきれいにするように告げられました。自己流で七体お祀りして、きれいにすることを心がけていたところ、よいことが何回か続きました。

 行者さんに見てもらったところ、この辺を守ってくれる分身が降りてきていると言われました。一番に地蔵菩薩が、次に密教の水神様が降りてきたことを知らされました。)