第3章【1】(3)清水窪 語り部:秋元 實(大正14年生)
杉並区との区境に近いこの地で生まれ育ちましたので、和田のあたりは良く覚えているのですが、地域で子どものころの思い出に残る懐かしい場所というと清水窪と呼ばれていたあたりですね。
ちょうど、本郷小に通う道筋で、まるでオバケが出そうなくらい薄暗くて。じゃり道だったしヘビがうろちょろいっぱいいてね。
雑木林があったので昼寝をしたり崖を登ったり滑り降りたりして、子どもの遊び場としては最高に楽しい場所でした。
たしか戦時中にかなり大きな防火用の貯水池がありました。(現在は40立方メートルの防火水槽があります)
中学校時代は青梅街道を走っていた西武電車で通学していました。乗客が満員だと駅に止まらず通過していくことも度々ありました。のんびりしていた時代ですね。当時(昭和12年頃)100枚つづりの回数券が2円でした。
定期券などない時代で、この回数券が重宝しました。