なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第4章【1】(5)昔なつかし東京音頭 語り部:鈴木淑彦(昭和4年生)

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語り部:鈴木淑彦(昭和4年生)

 昔、鍋横地域は中野の中心で、有名人や都心に通勤する会社員が多く住んでいたように憶えています。デパートの配送所が近接していたのも、おそらくご進物の多い彼らにいち早くお届けする必要があったものと推測できます。

 最近のテレビで「東京音頭」の誕生秘話が取り上げられ、昭和4年中山晋平作詞の「丸の内音頭」が元歌だということが判りました。当時杉山公園交差点付近にあった広場で毎晩のように集まって踊っていたことを思い出します。このことも、都心に勤める人が多くいたからこそ、すぐに親しめ広まったのではないかと考えられます。また、偶然にもこの近辺に高い塀に囲まれた中山晋平さんの広いお屋敷がありました。ここは、昭和30年頃には古賀ギター協会に使われ、いまはマンションになっています。

 鍋横交差点の一角に「東京パン」があり、ここのパンには両端に東京パンのマークが焼かれていたのを覚えています。

 青梅街道には新宿から代田橋方面へ行く車体がモスグリーンの「青バス」と中野から幡ヶ谷方面へ行く銀色の車体に赤色の線の入った「銀バス」が走っていました。バスガールが乗務し、乗車案内をしたり切符を売っていましたよ。電車も走っており、レールに釘を置いて踏ませ、ナイフのようなものを作ったりしました。

 でもこれはしてはいけない遊びでしたね。