なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第4章【7】(2)梟(ふくろう)や鶴のいるまち 語り部:池田幸惠(大正8年生)

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語り部:池田幸惠(大正8年生)

 昭和4年、10歳の時に父を亡くし、母と弟の3人で牛込から越してきました。周りは木々や竹が生い茂り、夜はとても寂しいものでしたが、その林の中に梟を見つけ、弟とはしゃいだこともありました。今の二中の辺りには私たちが「鶴の家」と呼んでいたお宅があり、家に居ながらにしてはっきりと鳴き声が聞こえましたよ。ご近所の離れに尺八の福田蘭堂先生が住んでいらして、時々大勢のお客様の賑やかな声が夜遅くまで聞こえました。

 榎本武揚さんのお屋敷は現在の富士見ハイムのところにあり、久留米絣の凛々しい若様のお姿をお見かけしたこともありました。

 池や築山がある大きなお庭をお持ちでしたので昭和20年の空襲のときには近所の方々とそこへ避難しました。大木の根元へ母を座らせ、すぐ駆け戻り家を守りました。風向きが変わり焼夷弾の落下位置がずれたお陰で命拾いをしました。

 小学校は桃園第四小(現中野神明小)へ通っていました。寿橋は本の橋で晴れた日には富士山が見えました。また中野通りは、でこぼこ道で切り通しの寂しい所もありました。それでも一人で通うことができたのは、いつも身につけていたお気に入りの赤いビロードの手提げと黒革の編み上げ靴のお陰だと思っています。

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