なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第3章【4】(6) 本郷田んぼの「あげひばり」 語り部:阿部豊(大正12年生)

f:id:nabeyokonews:20200512223332j:plain

語り部阿部豊大正12年生)

 昭和5年から72年間本町6丁目に住んでいます。この辺りは大蔵省や職業軍人、大地主のお宅が多く、そのせいかゴルフ場があったり(現女子美術大学)、乗馬クラブがありました。

 昭和10年頃にはまだ、春になると本郷田んぼがレンゲ一色に変わり大人たちが、「あげひばり」を楽しんでいました。仲問同士で飼っている「ひばり」を竹篭に移して持ち寄り篭の口を開けて飛ばします。

 「ひばり」は天空高く舞い上がりさえずり始め、やがて一直線に舞い戻って篭の中に入る。この「ひばり」の舞い上がる高ささえずり、滞空時間、篭の出入りなどを競っていました。子ども心にいかにものんびりした春の風物詩でしたね。

 

f:id:nabeyokonews:20200512223407j:plain

中野銀座と言われた鍋屋横丁を走る電車(中野町誌より)

 現在はその面影もありませんが、青梅街道の荻窪-新宿間に電車が通っていました。新宿のデパートに行く人が利用したようです。当時の電車と言えば、駅の間隔が近く、レールがガタガタ、パンタグラフが外れるアクシデントも多かったです。電車のレールの下に王冠や五寸釘を置いて、つぶしてはメンコや刀にして遊んでいるような子どもでしたね。