なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第4章【4】(1)遊び博士 語り部:阿部一雄(昭和8年生)

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語り部:阿部一雄(昭和8年生)

 「杉山公園」が誕生した昭和8年にこの近くで生まれ、現在まで共に時代を過ごしてきました。当時の公園にもブランコ・すべり台・砂場がありました。隅っこに植わっていたイチョウの木をハンモックにしていたこともありましたよ。この「ハンモック」というのは枝に縄を蜘蛛の巣のように張った、自分たちの手作りの品です。ガキ大将だった私は、その上で年下の友達に良いことと悪いことの分別を教えてあげました。そこに寝転ぶと、東の淀橋の浄水場や西の空に沈む真っ赤な夕日を眺めることができました。風の強い日は、杉並の方の原っぱで砂が黄砂のように舞い上がり、辺り一面真っ黄色になって先が見えなくなるほどでした。そんな想い出の詰まった木も、今は切り株が残るだけになりました。

 私の通っていた中野本郷小学校では男女別のクラスで、普段も別れて遊んでいました。憧れの女の子がいても遠くから眺めているだけ・・・そういう時代でしたよ。その頃流行っていたのは「水雷艇すいらいてい」という二手に分かれ、相手のチームとつかまえっこするゲームです。じゃんけんでいうとグー・チョキ・パーのように、学帽を前・横・後ろに被りわけることで誰が誰に強いかを示したんですよ。お金を使わずにいかに楽しく遊ぶか工夫を凝らして考えました。「子どもは遊び博士」とはよく言ったものですね。