なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第3章【2】(扉)商いを通して見た街

(1)昭和初期の食料品店(2)庭に残る石臼(3)四つ目垣根に囲まれた植木場(4)印刷ひとすじ(5)美容室のお正月風景(6)鍋横市場とせんべい屋さん(7)芝居小屋(8)質屋の利用も気楽に(9)自動車修理も数少なく(10)ラジオは注文を受けてから(11)花…

第3章【1】(4)近道は路地を抜けて 語り部:西田ヨシ子(大正11年生)

語り部:西田ヨシ子(大正11年生) 生まれてから現在まで鍋横以外に住んだことがないのです。現自宅の前が実家で、遠縁に当たる主人と結婚し、戦前は西町1番地(現本町4-38)に住んでいました。 昔のまちは敷地の周りをブロック塀などで囲んでなく、家と家の…

第3章【1】(3)清水窪 語り部:秋元 實(大正14年生)

語り部:秋元 實(大正14年生) 杉並区との区境に近いこの地で生まれ育ちましたので、和田のあたりは良く覚えているのですが、地域で子どものころの思い出に残る懐かしい場所というと清水窪と呼ばれていたあたりですね。 ちょうど、本郷小に通う道筋で、まる…

第3章【1】(2)鍋横交差点の角から 語り部:江藤利雄(大正5年生)

語り部:江藤利雄(大正5年生) 先々代が明治時代の中頃「阿波屋」から分家し、現在地(中央3-34)で商売を始めて以来、昭和34年からの地下鉄工事や都電の廃止など、青梅街道の移り変わりを、見たり聞いたりしてきました。 小学生の頃(昭和10年代前半)は比…

第3章【1】(1)拡幅前後の青梅街道 語り部:植野國男(大正6生)

語り部:植野國男(大正6生) 青梅街道が昭和4年に拡幅されることになり、米屋をやっていた私の家は道路になるということで立退きとなりました。拡幅前の道幅は10軒位(約18m)だったでしょうか。 真ん中を西武電車が走っていました。雨が降ると道がぬかる…

第3章【1】(扉)道・街道・道路

鍋屋横丁交差点。手信号と東横バスが中ほどに見えます(中野町誌より) 鍋横地域のほぼ中心を東西に2本の道路が通っています。 一つは「青梅街道」です。慶長年間に江戸城の改築や寺院の造営に使う石灰を産地の青梅から江戸に運ぶ為に拓かれました。 当時は…

第2章【10】(5)伊藤整氏奮闘の生涯

息子の礼が父親の思い出を綴ったもので、青梅街道の夜店に行った事や、赤痢に罹って鍋屋横丁の井口医院で診てもらった事などが書かれています。

第2章【10】(4)釣堀の思い出 語り部:秋元雅之助(大正12年生)

昭和23年頃までありました。 双葉山(元横綱)など有名な人も来ていたそうです。 小学校4~5年の頃、大変釣好きな叔父が四谷に住んでいて、この辺りに土地を貸していた関係で地代を集めに毎月鍋横に来ていました。その度に私かお供をして、釣堀に案内して行…

第2章【10】(3)夜鳥

1,631平方メートの敷地にあった大小3つの池 作家伊藤整(1905年~1969年)は、昭和5年に中野町新町3838(本町6丁目)で新婚生活を始め、昭和9年に千代田町38(本町5丁目)に転居しました。 「夜鳥」は昭和11年2月に執筆された随筆で、当時の千代田町(本町5 …

第2章【10】(2)地下鉄(メトロ)に乗って

著者は作家浅田次郎で昭和30~40年の鍋屋横丁が登場します。家族の葛藤を抱え、人生にくたびれきった中年サラリーマンが体験するタイムトリップの物語です。 主人公が地下鉄新中野駅を出ると東京オリンピックの開催の年(1964年)で、当時の鍋屋横丁の様子が…

第2章【10】(1)目白三平随筆集

平成10年まであった椎の木 屋根から突き出した木について作家中村武志(1909年~1992年)がこの著書の中にこう書いています。「そこには先住者がいた。二人ではなく2本の椎の木たった。 家を建てるには、椎の木は邪魔である。しかし先往者であり、樹齢55年の…

第2章【10】(扉)本の中にみる”鍋横”の記述

(1) 目白三平随筆集(2) 地下鉄に乗って(3) 夜鳥(4) 釣堀の思い出(5) 伊藤整氏奮闘の生涯

第2章【9】(3)慈眼寺の石仏群

慈眼寺の石仏群 境内には青梅街道の沿道にあったものなどを移設し、安置した石仏が多数あります。馬頭観音は頭上に馬頭をつけ、角柱部分は道しるべになっています。 左あふめ道(青梅)、右いくさ道(井草)、と記されていて元は青梅街道と石神井道との分岐…

第2章【9】(2)鍋捨横丁の由来 語り部:横田美桜多(明治45年生)

地図 この道は、かつては青梅街道から本郷氷川神社までの参詣道でした。昭和10年に中野新橋通りが青梅街道に直結してから、人通り少なくなりましたね。 鍋屋の横田家とは親戚筋にあたり、鍋の一字と義父の横田捨五郎の捨と組み合わせて鍋捨の屋号としたそう…

第2章【9】(1)本郷氷川神社

本郷氷川神社 新しい鳥居(平成10年5月建立)をくぐると境内に、奉納天保4年(1833年)と書かれた狛犬が対に置かれています。 一方はお乳を飲ませている狛犬で、もう一方は子守をするかのように子の背中に足をかけています。 狛犬は中国・朝鮮を経て渡来した…

第2章【9】(扉)神社

寺社については、建立時期やいわれなどを平成6年に発行した冊子でまとめましたが、その後の調査で新たにいろいろなことが分かりました。

第2章【8】(2)おせんにキャラメル、タカラ館 語り部:肥後正子(大正15年生)

語り部:肥後正子(大正15年生) 私か子どもの頃の鍋横は原っぱが多くて、あっちこっちで盆踊りや草相撲等をやったりしてました。 鍋横の交差点のあたり(中央4‐1)も原っぱが多かったけど、そこに「オデヲン座」という映画館があって、たしか最初は「ロマン…

第2章【8】(1)時代劇スターに胸がドキドキ 語り部:能勢小夜子(大正15年生)

昭和初期の中野館 中野警察から杉山公園寄りに城西館があり、松竹下加茂や大船の映画を上映していました。 「雪之丞」の林長二郎、「愛染かつら」の田中絹代、桑野通子、森川まさみ、「浅草の灯」の高峰三枝子、時代劇の坂東好太郎、高田浩吉、川浪良太郎と…

第2章【8】(扉)懐かしの映画館

テレビが普及する前の娯楽に映画があげられます。戦前、戦後にかけて鍋横には中野館、城西館、オデヲン座、タカラ館などの映画館があり、大勢の人々に親しまれていました。

第2章【7】(4)お風呂屋さん 語り部:大江久也(昭和5年生)

語り部:大江久也(昭和5年生) 昭和6年に私の父がこの地にあった銭湯を引き継いで開業しました。現在は息子が継いでいますが、父子三代は中野でも珍しいと言われます。 幸運にも戦災に会わなかったので、はるか遠くから子ども連れで入りに来ましたね。戦時…

第2章【7】(3)牛乳屋さん 語り部:須山千代子(大正3年生)

語り部:須山千代子(大正3年生) 主人の実家は、昭和の初め頃まで桃園町(中野駅の南口の五差路付近)で牧場をやっておりました。私は結婚後、しばらくそこで生活していましたが、戦後現在の地に移り牛乳屋を開いて50年位になります。 現在は、紙パックの牛…

第2章【7】(2)お米屋さん 語り部:深沢平八(大正9年生)

語り部:深沢平八(大正9年生) 私の両親は中央3丁目あたりで、さつまいもなどの卸商をしていました。田無や小金井方面の農家の方が人力車や牛車でさつまいもを運んできていたようです。当時は焼きいもや大学いもが庶民 の一般的なおやつでしたが、大正時代…

第2章【7】(1)こんなお店知ってる?

古くから地域に住む人たちの記憶によって作られた大正末期頃の地図を見ると、現在では聞き馴れないお店が出てきます。どんな内容か調べてみました。 【紺や】 藍染めをする染め物やのことをいう。 当時は半纏や股引きなどを紺色に染めるのが多かった。 【拝…

第2章【7】(扉)いろいろな商売

(1)こんなお店知ってる?(2)お米屋さん(3)牛乳屋さん(4)お風呂屋さん

第2章【6】(2)描かれた洋館

新日本製鐵社宅の場所(本町6‐2、杉並区和田1‐58)は元、安田公爵のお屋敷がありました。杉木立に囲まれた十貫坂の高台に見える洋館はとてもすてきだったと当時を知る人から伺いました。 和田1丁目に住んでいた洋画家の木村荘八(1893年~1958年)がその洋館…

第2章【6】(1)長く住み続けて 語り部:西片秋子(大正7年生)

この家は高橋ルイゼさんというドイツ人の方から義父が譲り受けた、大正10年に建てられた洋館です。 当時でもこの辺りには洋館が数件あり、特に安田さんのお家(現新日鉄社宅)は大きく立派で、屋根の形が印象的でした。 私は終戦後の昭和21年に北京から引き…

第2章【6】(扉)洋館

大正末期から昭和の始め頃、地域には洋館が何軒かありました。建て替えなどで大部分は消えていってしまいましたが、当時でもめすらしい建物は、人々の思い出に残っています。

第2章【5】(4)夏は蛍が・・・ 語り部:唐沢政次郎(明治33年生)

本郷小の記章 蛍なんていたもなにも夏になると田んぼのうえにザーッとでしたよ。さかんに蛍とってね。学年で6年と5年かな。籠に蛍を入れて、二重橋までもっていって放したんですよ。毎年、行事だったんです、あたしの小学校時分のね。本郷小の記章も蛍でしょ…

第2章【5】(3)千代田町会の由来 語り部:安藤幸好(大正6年生)

千代田町会の南側を流れている神田川は、その昔、夏になるとホタルがたくさん飛び交い、それを若者たちが捕まえては千代田の皇居に行って放していました。町名を付けるとき、その若者たちが町の重鎮となっており、昔の思い出から千代田と名付けたと聞いてい…

第2章【5】(2)畑は一面ピンク色 語り部:上村りん(大正6年生)

昭和26年頃の神田川の様子 川の周りにあった田んぼは、春になると一面れんげ草の花でピンクに染まります。その花を摘んでは、冠や花飾りを作って遊びました。とにかくホタルはたくさんいましたね。川に電気コードを入れてウナギを電気ショックで捕まえたりし…