なべよこ観察隊「鍋横物語ー見たい 聞きたい 記録したい」中野区・鍋屋横丁

なべよこ観察隊は、鍋横地域協議会の課題別部会である地域センター部会の中の専門部として活動しています。メンバーの多くは青少年の育成活動、町会、PTAなどの地域活動を通して、この活動に興味をもった人たちです。日常の生活の中で、目についた地域の様子、興味を感じたまちの様子をそれぞれ出し合い、実際にまちを歩いて観察しました。

第3章【6】歴史を移す

≪お題目石の移設≫ 取り壊される前の東横喫茶店とその横に立つお題目石 鍋横交差点の角(本町4-30)お店とお店の間に明治11年建立のお題目石がありました。元は青梅街道にあったものを、昭和5年の拡幅時に土地の所有者のご好意でこの場所に移されました。平…

第3章【5】(5)まちが変わった日 語り部:山内仙太郎(昭和7年生)

語り部:山内仙太郎(昭和7年生) 鍋横に移り住んで60年余りになります。生まれは静岡ですが、昭和32年から現在のところで質屋を営んでいます。時代の流れとともにまちもいろいろ様変わりしてきましたが、私が一番心に残っているのが戦時中のことです。 昭和…

第3章【5】(4)バラエティに富んだ物売り(行商) 語り部:鹿山和夫(大正8年生)

語り部:鹿山和夫(大正8年生) 関東大震災の後、中野にやってきました。当時の青梅街道は電車やバス、馬車などが行き来する物流の道でした。その道を渡って桃園第三小学校へ通うのを母が心配して、現在地(中央5-10)に越してきました。中央西公園になって…

第3章【5】(3)買出し 語り部:池田セツ(明治40年生)

語り部:池田セツ(明治40年生) 鍋横のこの場所には、関東大震災の年に移ってきましたが、私の家の周りは畑が多く特にナス畑が多かったですね。また、軍人さんが多く住んでいました。戦中、戦後の食糧難の時代には中央線で国分寺まで行きそれからまた乗り換…

第3章【5】(2)カッパの干し場 語り部:三ツ木いと(大正3年生)

語り部:三ツ木いと(大正3年生) 生まれも育ちも中央です。幼い頃、今の野津医院(本町6-20)付近一帯に芝生の原っぱがあって、よく、バッタを追ったり鬼ごっこをして遊びました。“カッパの干場”と呼ばれて、一面に油紙の厚いのが干してありました。雨合羽…

第3章【5】(1)怖かった関東大震災 語り部:松倉英一(明治40年生)

語り部:松倉英一(明治40年生) ここ(本町6-17)には、旧制中学3年の時(大正11年)に渋谷区から引っ越してきて以来ですから、かれこれ80年近くになります。当時は中野西町と言っていました。 引っ越してから1年後に、あの関東大震災(大正12年9月)があ…

第3章【5】(扉)まちが変わる―関東大震災・第二次世界大戦によって―

第3章【5】(扉)まちが変わる―関東大震災・第二次世界大戦によって― (1)怖かった関東大震災(2)カッパの干し場(3)買出し(4)バラエティに富んだ物売り(行商)(5)まちが変わった日

第3章【4】(6) 本郷田んぼの「あげひばり」 語り部:阿部豊(大正12年生)

語り部:阿部豊(大正12年生) 昭和5年から72年間本町6丁目に住んでいます。この辺りは大蔵省や職業軍人、大地主のお宅が多く、そのせいかゴルフ場があったり(現女子美術大学)、乗馬クラブがありました。 昭和10年頃にはまだ、春になると本郷田んぼがレン…

第3章【4】(5) 中野通りのむかし 語り部:木口弘(昭和2年生)

語り部:木口弘(昭和2年生) 昭和10年に本町5丁目に越してきて、本郷小学校3年に編入しました。当時は、現在の十貫坂上の交差点から中野通りを下った辺りで急に道が拡がっていて、そこまでは道が狭いため車の往来も少なく道路でよく野球をしました。 千代田…

第3章【4】(4) 親子二代で遊んだ崖 語り部:菅沼貴代子(大正14年生)

語り部:菅沼貴代子(大正14年生) 戦災に遭うまで、父が宮里11番地(現本町4-17)で写真館をやっていました。本郷小学校の専属の写真屋として遠足などについて行っていまして、私の6年生の修学旅行にも一緒でした。父が写真を撮って帰ると、暗室で現像を手…

第3章【4】(3) 樹齢50年の桜 ―氷川神社― 語り部:鈴木サトミ(大正9年生)

語り部:鈴木サトミ(大正9年生) 戦後間もなく、現在地(本町4-9)に居を構えた我が家に戦時中に住んでいた日光(栃木県)で知り合いになった娘さんが、突然上京してきたので4、5日面倒を見てあげたことかあります。その後、娘さんは荻窪駅前にあった造園…

第3章【4】(2) 風情ある町並み 語り部:岡田富士子(大正15年生)

語り部:岡田富士子(大正15年生) 昭和38年に子どもの通学のため、杉並から今のところ(氷川神社の裏)に引越してきました。この辺りには、情報局総裁がお住まいだったお宅など、大きな家がいくつかありました。東大独文学の山下教授のお宅は風情のある日本…

第3章【4】(1) 思い出がいっぱいつまったまち 語り部:小野仁子(昭和4年生)

語り部:小野仁子(昭和4年生) 昭和14年、小学4年生の時に引越してきて以来、鍋横に住んでいます。戦前の鍋横は中野銀座と言われるほどとてもハイカラで、青梅街道には夜店が出たりと、子ども心にもピカピカときらびやかだった印象があります。その頃、鍋横…

第3章【4】(扉)まちの情景・風物

(1) 思い出がいっぱいつまったまち(2) 風情ある町並み(3) 樹齢50年の桜 ―氷川神社―(4) 親子二代で遊んだ崖(5) 中野通りのむかし(6) 本郷田んぼの「あげひばり」

第3章【3】(4)地域のリーダー 語り部:神津賢一(大正13年生)

語り部:神津賢一(大正13年生) 昭和19年、本町6丁目に移り住んできました。その前にも本町6丁目に親戚の家があったので、この辺には子どもの頃よく来ていました。 十貫坂の酒屋さん(足立屋)の前あたりにポテト(じゃがいもを揚げたもの)を売っている店…

第3章【3】(3)それぞれの思い出 語り部:会田幸子(昭和9年生)、会田喜久(昭和2年生)

会田幸子(昭和9年生) (幸子) 鍋横の思い出といえば、学校帰りに阿波屋さんのガラス窓を守る鉄の棒で、でんぐり返し(前まわり)をするのが、楽しい日課たったことですね。 会田喜久(昭和2年生) (喜久) 私は、店の人に見つからないよう店内を通り抜け…

第3章【3】(2)子どもの楽しみ 語り部:藤井文江(昭和2年生)

語り部:藤井文江(昭和2年生) 昭和10年頃でしょうか、本郷小学校の北側に「なべよこ広場」という絶好の遊び揚がありました。お正月には、子どもが羽根つきや凧揚げをして遊んだものです。 普段は相撲をとったり、弓の大会があったり一年を通して使える大変…

第3章【3】(1)子どもたちの世界 語り部:語り部:安藤幸好(大正6年生)

語り部:語り部:安藤幸好(大正6年生) 十貫坂上から神田川にかけて本町5丁目辺りは一面畑だったんだがね、大正13年頃から、関東大震災後に下町方面から避難してきた人たちが、農地に家を建て始めたんです。結果ね、農家が畑作をやめ休耕田となった所が子…

第3章【3】(扉)空き地は社交の場 ―遊びは創意・工夫で―

(1) 子どもたちの世界(2) 子どもの楽しみ(3) それぞれの想い出(4) 地域のリーダー

第3章【2】(11)花に囲まれて幸せ 語り部:庄司みき(大正4年生)

語り部:庄司みき(大正4年生) 昭和16年に房総(千葉県)から鍋横の花屋「みどり屋」(中央4-1)へ嫁いで、それ以来花に囲まれての生活です。 昔も今も店に並ぶ花を市場で仕入れて販売するのは同じですが、温室栽培がないため、四季折々の花が1年を通して彩…

第3章【2】(10)ラジオは注文を受けてから 語り部:小澤岩男(昭和5年生)

語り部:小澤岩男(昭和5年生) 兄が、昭和28年に本郷通り(スーパーつかさの前)に清和電機を開店し、私も働くようになりました。当時は電気屋で扱うものといったら電球と電熱器くらいでした。電気蓄音機などは、神田で部品を買ってきて、組み立てて売って…

第3章【2】(9)自動車修理も数少なく 語り部:高橋喜久雄(大正7年生)  

語り部:高橋喜久雄(大正7年生) 小学校6年の頃、新宿から引っ越して来て以来70年余り鍋横に住んでいます。近くに開校(昭和3年)したばかりの本郷小学校があり、近辺は窪地だったので葦が生えていました。家は少し高台にあり、辺りは一面原っぱで数軒の家…

第3章【2】(8)質屋の利用も気楽に 語り部:石川 久子(大正4年生)

語り部:石川 久子(大正4年生) 生後まもなくから、ずっと鍋横に住んでいます。父が質屋を営んでおり、子どもの頃、暮れになると正月用の着物を出しに来る人が多かったですよ。 包んであった和紙をたたむのを妹と競争で手伝いました。大晦日は特に忙しく、…

第3章【2】(7)芝居小屋 語り部:長谷川まつ江(大正6年生)

語り部:長谷川まつ江(大正6年生) 昭和25年に現住所に越してきました。周囲は原っぱで、家の前(本町4-19)に芝居小屋がありました。古いけれど立派な建物で、舞台も大きく2階にも客席がありました。 主人の妹が日舞の師匠をしていたので芝居がない時は、…

第3章【2】(6)鍋横市場とせんべい屋さん 語り部:百瀬徳蔵(大正14年生)

語り部:百瀬徳蔵(大正14年生) 鍋横市場は現在の鍋横交差点先の「しおのビル」と、その横の駐車場(本町4-1)のところに、昭和40年代までありました。この辺りは戦災を免れたので、戦前からある古い建物でしたね。 ひとつの大きな建物の中に、八百屋、肉屋…

第3章【2】(5)美容室のお正月風景 語り部:大極幸子(昭和11年生)

語り部:大極幸子(昭和11年生) 昭和39年から、美容室を始めました。当時鍋横に美容室は2,3軒しかありませんでしたが、今はずいぶん増えてきましたね。皆さんが美容室を利用するのも時代とともに変わり、特に髪型やお正月を迎える様子は今とだいぶ違ってい…

第3章【2】(4)印刷ひとすじ 語り部:西田惣一郎(大正6年生)

語り部:西田惣一郎(大正6年生) 通称、字鍋屋横丁と言われていた西町1番地(現本町4-38)に生まれ、昭和5年に学校を卒業して本町通り3丁目(現本町3-31)にあった印刷所で働くようになりました。 この頃鍋横交差点そのば日替わりメニューで評判の洋食屋(…

第3章【2】(3)四つ目垣根に囲まれた植木場 語り部:小川仲子(大正6年生)

語り部:小川仲子(大正6年生) 実家は、この地で関東大震災・戦争を無事にくぐり抜け、父が昭和33年に亡くなるまで植木屋をやっていました。西町花の公園の前一帯(現本町4-3)に植木場(育成畑)があり、周囲は四つ目垣根で囲まれバラの花が咲き乱れていま…

第3章【2】(2)庭に残る石臼 語り部:栗原武弘(昭和2年生)

語り部:栗原武弘(昭和2年生) 昭和12年頃まで、蕎麦粉の製粉所(屋号―河武)を代々家業としておりました。家の東側(本町4-47)に工場と広い蕎麦の干し場があり、いっぱい敷かれた筵上に蕎麦の実を干していたのを覚えています。 それを工場で製粉しますが…

第3章【2】(1)昭和初期の食料品店 語り部:高野マサ(大正4年生)

語り部:高野マサ(大正4年生) 昭和16年、宇都宮から鍋横の葛西屋に嫁いできました。本家は瀬戸物屋でしたが、家の奥に製粉所もあり、蕎麦粉を挽いて近辺の蕎麦屋に売っていました。 裏の空き地はそば殻がいっぱいに積まれ、それをまき代わりに使っていまし…